2016年8月27日土曜日

スウェーデンの90年代の教育の失敗

 新学期が火曜日に始まりました。年度開始から問題連発の今年度。どんな1年になるんだろうか。。。と不安が隠せませんが、今日は夏日。休みを楽しみたいと思います。

 木曜日の「DN Debatt」に興味深い投稿がありました。「Jag ber om ursäkt för 90-talets pedagogiska idéer」と題されており、日本語にすれば、「90年代の教育のアイデアに対して謝罪をする」というもの。書いたのは、ヨーテボリ大学の教授、Jonas Linderoth氏。

 スウェーデンの学校の多くは先週、今週と新学期が始まりました。しかし、新年度、新学期ですが、話題になるのは、足りない教員の話ばかり。教員免許を有した教員が足りず、新年度になっても、必要な数の教員が確保できていない学校が多くあり、中には、クラス自体をなくし、近くの学校とクラスを統合するなどという話もあります。有資格者でなければ成績がつけられなくなり、以前にも増して教員獲得戦が厳しくなっているのに、有資格者の教職離れも問題となっており、スウェーデンの教育現場は相変わらず、問題山積みです。


 こんな現状に対し、教育に関わる研究者としてJonas Linderoth氏が90年代の教育改革、教育の思想に対する非を詫びるという投稿は話題を呼びました。具体的に少し説明すると、スウェーデンでは90年代始めに、教員による一斉授業から、教員がコーチやメンターのような立場に変わり、生徒が主体的、自主的に学ぶ形に教育の流れが変わりました。94年には新しいカリキュラムが出され、教師の裁量を重視し、内容が簡素計略化されました。この改革が失敗だったということです。

 この90年代の変化に対する批判は前からされており、今回が初めてというわけでないので、Jonas Linderoth氏の今回の投稿は、これらの改革に大きく関わって影響を与えてきた研究者側の責任を認めるという点が大きいのです。早速、これには、しっかりとした裏付け研究がないという反論がされましたが。。。



 記事には、1993年のAlison King教授の名前も出されていました。元の考え方となっているのは、彼の「The stage on the stage to a guide on the side」で、「教師がステージに立って」行う教育ではなく、「ガイドとして寄り添う立場で」教育を行うことで、生徒は自主的に、批判的な考え方を身につけ、問題解決能力を身につけていくというものです。しかし、近年の研究により、上記のような教育は、教師が授業を責任を持って行う昔ながらの形に比べて、生徒の結果が思わしくないということが明らかになってきました。私も考え方としては悪くないと思うのですが、教育に長年かかわってきたものとして、90年代の教育のあり方は、差が出やすく、外れると大きいというのが問題であるように思います。どの教師に当たるか、どのクラスでどんなクラスメイトと一緒に勉強するか、家庭でどのくらい援助が受けれるかなどによっても大きな差が出てしまいます。また、特別な配慮を必要とする生徒にとっては、教師側によるしっかりとした配慮がない限り、つらい勉強方法で、学びの質が低下してしまうリスクが大きいのも問題点です。


 90年代のスウェーデンの教育は、「生徒が自分で探求し、発見し、教師がそれを援助し、学びを導く」と書くと聞こえはいいのですが、クラスの人数が増え、移民の生徒が増え、教員の仕事が増え続けている今の現状には、合わないものであると考えられます。


 今回の彼の発言が、今後研究者の間でどのように語られていくのか、組合や国がどのように発言を利用していくのか、大変興味深いです。


読んだ新聞記事:"Jag ber om ursäkt för 90-talets pedagogiska idéer" DN 2016-08-25, "Läroplanen, tumregel för skolan ett in, ett ut" DN 2016-08-26, "Han har ingen empiri som stöder det han påstår" DN 2016-08-26

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