2015年12月30日水曜日

スウェーデンで紹介された日本の幼稚園

 「幼稚園」という教員組合から出ている雑誌をずっと購読して読んでいたのですが、今学期は時間がなくて、まったく読めず、購読をやめてしまいました。ちょっと残念なんだけど、溜まっていくばかりの雑誌や本に、ストレスを感じるくらいなら、購読やめようかなと。この幼稚園の雑誌に日本の「ふじようちえん」が紹介されていた記事を見つけました。スウェーデンの幼稚園を見学したい、研究しているという方からの連絡を時々もらいます。その逆パターン、日本の幼稚園から学ぶスウェーデンということで、興味深いなあと思いました。

 東京にあるふじようちえん、児童数がとても多いことが、まず注目されています。ここに通う児童は3歳から6歳までの600人。確かにスウェーデンの規模から考えると多いように思います。記事には取り上げられていなかったけど、私が気になったのが、クラスの人数。一クラス35人なんだそうです。働いている職員は54人で、そのうち、42人が幼稚園教諭だそうです。話を戻せば、スウェーデンの幼稚園は、だいたい、五クラスとして、各クラス15人いるとすれば100人に満たないので、多くの幼稚園は、100人前後だろうと思います。前に200人という幼稚園の記事を読み、その時は、確かかなり大きな幼稚園と書いてありました。

 次に大きく取り上げられているのが、幼稚園の園舎です。ユニークな建物で、平屋で円の形になっていて、真ん中が中庭、屋上も遊べるようになっていて、屋上から滑り台で中庭に降りてこられるようになっていたり、屋上に登る階段があったりと、とても遊び心のある建物になっています。賞も貰っているようですし、多くの見学者が訪れる有名な幼稚園のようです。記事では、この建物と児童数を兼ね合わせて、子供達をしっかり見ていられるのかというような質問が投げかけられていました。園では、活動時間を区切ることによって、子供達が一度に外に出ないようにしてあり、各クラス、1日1時間の園庭での遊び時間があるそうです。スウェーデンでは、園庭での自由遊びの時間が、かなり確保されており、子供の年齢によって1グループの人数は変わりますが、大人は3人いるので、単純計算では、日本よりも大人の目が行き届いていると言えます。

 はっきりと書いてあって面白いと思ったのが、「偏見ですが、日本ではもっとビシッとやっているのかと」とあったところ。日本の子供達もスウェーデンの子供達と同じように、たくさんの笑顔と笑い声が響き合い、走り回って遊んでいることに驚いたと。ま、私もよく言われる内容だと思いました。日本というと、とにかく子供はしっかりしつけられているというようなイメージがあるようです。あとは、記事の中でも書かれていて、私も気になったのが、音。これだけの子供がいて、各クラスは、いわゆるパーテーションで区切る感じの移動式の壁であると理解したので、音がきになるのではないかと。特に、音に敏感な子供や障害を持った子どもたちはどうしているのかなあと。記事の中では、「なれれば大丈夫、子供はこうした音の環境の中で育つもんだ」とありましたが、慣れることができない子は日本にはいないのかなあと思いました。子どもに与える音の悪影響や、音の環境、働く側は、子供が生み出す音による労働環境問題がよく取り上げらるスウェーデンとしては、きになるだろうと思いました。


 日本の幼稚園が紹介されることは嬉しいなあと思います。日本の幼稚園には、スウェーデンの幼稚園が学ぶとよいだろうところが沢山あるように思いますし、お互いの国のよいところを取り入れて、よりよい幼児教育ができていけばと思います。


読んだ記事:Förskolan 10/13


2015年12月28日月曜日

スウェーデンの登校拒否の実態

 前回ゲームに夢中になってしまう若者について書きました。ここ数年、スウェーデンでは、「hemmasittare(家で座っている人)」という言葉がよく聞かれるようになりました。学校に行かないようになり、家で座っている人、引きこもっている人というスウェーデン語の言葉です。ただ、この言葉、学校関係の間では問題を適切に表した言葉ではないということで、学校局の定義では「Elev med lång ogiltig frånvaro (長期にわたって適切な理由がないのに欠席をしている生徒」とされています。こういった登校してこない生徒の理由の中のひとつに先のhemmasittareがあると考えられています。

 では、こういった生徒がどのくらいスウェーデンに存在するのかというと、2010年の統計で、2008/09年度に適切な理由なしで1ヶ月以上学校を休んだ生徒は、1650人とあります。男女比はそれほどなかったということです。学校を長期にわたって休む生徒の多くは、神経の衰弱や不安、社会性不安障害などの精神的な問題を抱えている場合が多くあるとあります。

 記事の中で登場するアダムくん。学校に初めて通った時から、無駄なことが多く行われていると思ったそうです。自分のそういった考えを人に話すこともなかったし、周囲の大人も誰も彼の様子に気がつかなかったと。友達もいたし、先生との関係も良好、得意な教科は算数と、いわゆる普通の子だったようです。しかし、2011年1月17 日、6年生の時に、学校に登校しなくなった。そして、「hemmasittare(家で座っている人)」とあります。

 登校拒否というと、いじめにあったなど大きな出来事がきっかけと思いがちですが、実際には、こんな感じで学業に対するやる気や意味を失い、学校に行かなくなる子ども、多いのではないかと思いました。現在16歳になるというアダムくんは、その当時のことを、一時的な神経の衰弱状態と未熟、学業に対するやる気の欠如が原因であったと述べています。親はしかるというようなことはなかったそうですが、とても悲しがったようで、それが辛かったとあります。最初のうちはなんとか学校にいってもらおうと努力したようですが、そのうち、それもなくなり、結局4年もの間学校に行くことなく過ぎて行きました。4年間、部屋に閉じこもり、パソコンでゲームをやって過ごしたそうです。


 学校は何をしたかといえば、週に何回か、生徒のアシスタントが家にやってきて、算数を見てくれたそうです。でも、今振り返れば、学校にはもっと責任があったのではないかと彼は言います。もっと手助けをする必要があったのではないかと。こういった登校をしてこない子どもに対して、学校が十分な支援や援助を行わなかったということで、学校検査局が検査をして、最終的に罰金をとられた学校もあり、この辺りの支援援助は未だに不十分である場合が多いのが現状です。興味深いのは、彼がこうなったのは教師のせいではないけれど、なにかしらできたことはあったのではないか」というところ。おそらく登校拒否になるというのは、教員のみの責任という場合は少なく、複合的な要因である場合が多いように想像します。それでも、教師という職業的な責任から、子どもたちにできることは多くあるのだと感じます。

 
 友達が成績の話をするようになったころ、彼も学校に戻って成績をと思ったようですが、さすがにそれから成績をとるのは難しく、結局家の中に閉じこもったままだったそうです。そんな彼を助けたのは、こういった状況に置かれた子どもたちに対する治療プログラムで、2名の男性が家を訪問して彼の話を聞くようになり、彼との関係を徐々に気づき、散歩に連れ出したり、レストランに行ったりするようになったそうです。そうして、部屋の外に出られるようになり、今は、義務教育の単位をとるための高校に通って勉強しているとあります。


 やるべきことがわかっているのに、やる気が起きないできないという辛い気持ちを抱えながらの4年間、辛かっただろうと思います。スウェーデンでは、こうした子どもたちを援助するためのプロジェクトチームがコミューンで作られるようになってきました。今後、これらの動きがどのような成果をだすのか、興味深いところです。




2015年12月27日日曜日

テレビゲームに夢中になる若者

 冬休みになり、ちょっとブログを更新しようかなと思いました。冬休みに入り、すぐにヨーテボリに行ってきた時に、ホテルで読んだ新聞記事で気になったのが、「Kunskap viktig för föräldrarna(保護者にとって知識が重要)」です。

 冬休みに入って喜んでいる子どもたちとは対照的に、テレビゲーム漬けになることを心配している保護者がたくさんいるといるそうです。スウェーデンでは、こうした若者のゲーム中毒が社会問題となっており、国のメディア機関がノルウェーの同様の機関と協力して保護者向けの新たなガイドラインを発表しました。記事にあった現状を見ていくと、

毎日、もしくは週に何回かテレビゲームをする割合は、

  • 9歳から12歳で61%
  • 13歳から16歳で48%
  • 17歳から18歳で35%

男女差を見ると、圧倒的に男子の方がテレビゲームをしており、最も差があるのは、13歳から16歳で男子が47%なのに対して、女子は6%。この13歳から16歳の若者の4人に1人は、普通の日に3時間以上ゲームをしている。

9歳から18歳の子どもを持つ保護者の実に35〜40%が、テレビやインターネットでのゲームをする時間が長く、子どもたちが社会から疎外されることを心配している。11〜17%の保護者は、既に子どもが社会から疎外されていると感じているとあります。

私も、これらの問題を口にする保護者と接する機会が多くあり、身近な問題であると感じます。学校が休みになると、ゲームをする時間も増え、問題が深刻化する可能性はあります。ゲームが好きで日常生活とバランスを取れて楽しめているうちは良いのですが、そうで無くなると問題です。

危険信号としては、
  • 家族や友達と距離を置くようになる
  • 重要な活動を行わなくなる
  • 夜中にもゲームをするようになり、昼間に寝るようになる
  • 学校に行かなくなる
というようなものがあります。ガイドラインによれば、まず大事なのが、どのゲームが人気があって、なぜ熱中しているのかなど、知識を得ることとあります。同時に、ゲームをすることに関して、話し合うことも重要であると。頭ごなしに偏見を持ってみたりして怒るのではなく、自分も知りたいという姿勢で信頼関係を保ちながら話をすることが大切なようで、これは何につけても共通のように思います。

 記事の中で指摘されているのが、現代の子どもたちは、良くも悪くもオンライン状態にあり、これに関して、大人が積極的話し合うということが少ないと調査結果でも出たそうです。親世代が子どもの頃には、インターネットがまだ普及しておらず、我が子には、自分が受けてこなかったしつけや会話をしなくてはならないのだから、なかなか大変です。


 テレビやネットのゲームに夢中になっても、きちんと学校に行ったり、友達と遊んだりする若者もいるのですが、中には、学校に行かなくなってしまったり、家に閉じこもったりするようになる若者もいて問題は深刻です。こういった場合は、本来の問題は、別のところにある場合が多く、その問題をなんとかしなくてならず、ここ半年ほど、この問題に関して取り上げられることが多くなりました。そんな話もまた書けたらと思います。


読んだ新聞の記事:Kunskap viktig för föräldrarna, 2015-12-20, Göteborg posten

2015年12月11日金曜日

ルシア祭を終えて、久しぶりの更新

 前回ブログを書いたのが秋休みでした。今日は、私の働いている学校でルシア祭があり、来週には冬休みに入ります。この間、ブログの更新できず。。。残念です。忙しかったのかと聞かれれば、その通りで、小忙しい毎日を送っています。

 ルシア祭、無事に終わって本当に良かったです。私の学校には、音楽療法士の先生がいて、音楽全般の授業を受け持っているのですが、この秋学期は休んでいたのです。でも、ルシア祭の時だけは、出てきて演奏をしてくれる予定だったのに、急遽来れないと連絡があったのは、2週間前。それからが大変でした。どうしようかという話になり、なぜか、ピアノが弾けるという理由で私が弾くことに。。。生徒の一人と一緒にならということで、伴奏を始めました。

 ここで、気がついたことが一つ。日本で授業などでピアノを弾いたり、伴奏をしたりするときは、必ず楽譜があり、それに沿って弾いでいたのですが、スウェーデンでは、歌う時の音階?に合わせて弾いてほしいとのこと。しかしながら、そんなに音楽が得意でもなんでもない、ちょっとピアノが弾けるだけの日本人には、音階を直す作業は容易ではなく、直して持って行き、弾いてみると、もっと低くとか、少し高くとか。。。ああ、そんな簡単に私はできないし。。。と嘆きながら、ピアノを弾く毎日。だいたいクラスが複数あり、あっちのクラスは、高くしたりこっちは低くとか、無理だし無理だしと思いながら、どうしようかと思っていた私。

 で、なんとか、ルシアもなりそうだとなったところに、一緒に弾いていた生徒が弾く音が、他の生徒にとって耳ざわりとなり、急遽彼を外すことに。。。今までピアノの横に座って楽しそうにしていたのに、他の席に座らさられて、かわいそうに。。。

 そんなこんなで迎えた今日。なんとか、無事に終わりました。横に座っていた生徒も途中でふらっと立ってぐるっと回って、結局ピアノの隣に座って一緒に弾くことに。予想できていた展開なので、他の先生やアシスタントにも事前に、もしも生徒が動いたら、好きにさせてやってほしいと伝えておき、一応、椅子もピアノの横に用意しておきました。一緒に何曲か弾けてよかったと思った私です。忙しい中、見に来てくださった保護者の皆さんとお茶をして、楽しいルシアでした。


 病気休暇続出の秋学期後半、毎日の職員配置にどれだけ気を使ったことか。。。11月の半ばには、日本から幼稚園の先生が学校訪問をしてくださり、音楽の授業をしてくださりました。楽しかったと大好評!いろんなことがあった秋学期も残り1週間、風邪などひかず、なんとか乗り越えれたらと思います。